観光客の瞬きは、切り取られた画像の万華鏡。
時々、困った質問をされるときがある。でも、自由旅行を夢見ている人にはどうもとても知りたい事らしい。そして、とってもおかしなことに、実際に自由旅行している人からは、こういう話題はあまり聞かない。。。
言わないだけなのかどうなのか。。。。
外国で素敵な人にナンパされたら、どうすればいいですか?
いくらね、個人旅行でふらふら旅をしているからってね、こういう質問にはぎょっとさせられる。映画かドラマの見すぎかでしょうと思うのだけど、自由旅行出来ていいねって憧れる人たちに、よくされる質問なんですよね。
いろいろアバンチュール、あるんでしょ?とか言われて、へえって気が付く。な~る、そういう風に思われたりするのかと。
これについては、いろいろ、いろいろ、と~ってもいろいろな角度から思うところがあるのだけれど、今回は、数少な~い中のちょっとディープな話を書きます。
あ、ちなみにこのタイトルの答えはね、そんなの好きにしなよ!です(笑!)だって、個々にシチュエーションが違うだろうし、好みも違うだろうし、素敵な人がいい人か悪い人なんて会ってもいないのに分からないだしょ。
旅の安全対策としてどうなのだろうということならば、ぜひ、セミナーに来てください!多角的観点からお話しましょう!
ホーチミンは南の都市だけど、ホーおじさんのこと、その名はサイゴン。で、首都はハノイだよ。
日本人にも人気の国ベトナムは、愛らしい工芸品や雑貨、美味しい食べ物、今はリゾートとしても人気がある。実は私はサイゴンには行ったことがないのですよ。サイゴン? そうそう、ホーチミン シティです。敢えてサイゴンと呼ぶには訳があって、ベトナム人、および、この国を訪れる外国人旅行者たちはこの大都市をサイゴンと呼んでいるから。つまり、ホーチミンとは、ベトナムの父と呼ばれたホーおじさんこと、ホー・チ・ミンにちなんで名づけられました。ですが、ホーチミンと言うより、サイゴンの方が断然通じるんです。
アメリカが初めて勝てなかったと言われるベトナム戦争は1975年4月まで続いて、サイゴンが陥落したのは、とても象徴的な瞬間でした。ベトナムという国に行くなら、その近代の歴史を絶対にかじって行くべきところだと思います。
フランスの文化が香る町、古き王国の遺跡の残る場所、しなやかでしたたかに生きている人々、そこには数多くの侵略の歴史の中で生きていた人々のたくましさと、民族の誇りを感じさせます。ベトナムはどこへ行っても、戦いの歴史があり、平和の大切さを感じさせるところです。
日本も古くから関りをもっている国でもあり、親日家も多いんですよね。
サイゴンは、ベトナム最大の都市ですが、首都ハノイです。ベトナムは日本に似て、南北に広い国で、文化も北と南で趣が違う。ハノイはね、なんとなくアカデミックな雰囲気がして、私はとっても好きなのですよ。
ハノイにも、観光ポイントは沢山あるのですけど、ただうろうろと歩き回るのがとても楽しい。
ハノイには画廊が多く、ちょっとしたアーティストも沢山いる町なんです。町中で絵を売り歩く人もいます。
シルクスクリーンや、水彩画、絵葉書サイズのものなど、掘り出し物に出会うことも多く、値段も交渉が効きます。
旧市街のお散歩は、迷い込むのがオススメ。行きたくても二度と行けないお店に出会うことも、ベトナムに後ろ髪惹かれるところです。
何年かして訪れて見ると、町そのものが激変して、がっかりしたり、新たな発見があったり。
路上のヌードル屋から、しゃれたフランス料理レストランまで、ゴム草履を履いて出かけたり、小物を使ってドレス風に装ったり、女優の様に様々に演じて楽しむ自分もとても楽しい。
ドンモイ政策の前と後では激変していて、アオザイ姿が町から消えたのはちょっと残念でしたが、いつも期待を裏切らないところです。
安宿?いえいえ、ペントハウスでしょ。
経済成長して、観光客も増えてくれば、当然のようにおしゃれで素敵なホテルはどんどん増えて行きます。東京もオリンピック招致がきまってからのホテルラッシュはすごかったです。(コロナで実際は大打撃でしたが。。。。)近代都市へ向かうベトナムも例外ではないでしょう。
このディープな話は、経済成長はしていたけれど、湖のまわりにスーパーマーケットなるものが登場し始めた頃、今みたいにネットでホテル予約なんてシステムはなく、アジアの安宿は自分の足で探すのが普通だった時です。一歩路地を入れば、せまい間口にちっちゃい椅子が乱雑におかれたビア・ホイ屋があり、生活感にあふれた活気のある通りには、食堂やホテルが並んでいるおもちゃ箱のような場所でした。
この旅は、実はタイからスタートしていて、メコン川を下り、ラオスを経由して陸路でベトナムに入って北上するというけっこう体力勝負の旅で、適当に一緒に旅行している友人がいました。適当というのは、基本一緒に旅行だけど、行きたい場所が違う時は別行動して、また次の滞在地で会って旅行を続けるという具合。基本ルートは決めているけれど、現地の情報や面白そうなところがあれば、お互い道草を食いながら行くというスタイルです。
とうとう3週間かけて、二人でハノイにやって来た次第。
ここハノイから、北へ向かいラオカイから列車で国境を越えて、中国に入り、雲南省へ行く予定だったのですが、現地に来たら列車は中国側の都合でラオカイから先は運行していないと分かった。(旅行中、行ってみたらのダメじゃんはよくある。)ふむ、友人はそのまま北京を目指すロングを計画していたので、なんとか行けるところまで行くと言い、私は、予定より大分遅れてしまって、すでに差し迫ってきたタイからの帰国便の日程にあわせて、数日、国境近くの少数民族の村を訪ねるかしてこの旅行を終えることに決めたのでした。
当時、私はスモーカーだったので、二人の時は、バルコニーが必須、それとお湯の出るシャワー。ベトナムはフランスの影響を受けているので、安宿といえどもけっこうしゃれている部屋がおおく、バルコニー付きはけっこう見つかるものです。
2日目の朝、最初に探した宿から3件くらい先のゲストハウスにいい部屋が空くらしいよ!友人がニュースを持って来たので、早速見に行くと、最上階の5階、バルコニーからの見晴らしは素晴らしく、二人で荷物を広げっぱなしでも充分なひろさ。清潔だし、5階にも関わらずお湯の出も上々。これで、一泊15ドル。一人あたり1000円くらいだからね。即決め。こうして宿は現地で決めるのが本当はベスト。理由は、実際に見て、値段交渉して決められるから、がっかりがない。これは大事でしょ。
朝な夕なにバルコニーから煙草をふかしながら旧市街の景色を眺める。人の動きには生活感があって、見ていて飽きない。そして、下に降りて朝食屋を探す。夕方には薄く暮れ行く美しい時間を堪能して、シャワーをあびて夕食へ向かう。なんという贅沢なのでしょうか!
ここの問題は、毎回5階までの上り下り。忘れ物をしようものなら大変なのだよね。
ハノイのコミュニティサロンはビアホイ屋
ビアホイという不思議な飲み物はハノイ独特のもの。(最近は他の地でものめるらしいですが・・。)
Bia Hoi という看板を掲げた店は旧市街のいたるところで目にする。薄まったビールのような安価なアルコール飲料。日本だと、ホッピーとかが近い雰囲気。味とかではなく、その飲み物が供される環境の雰囲気とかね。
ハノイのビアホイ屋も地元の労働者や、バックパーカーたちが集う庶民的な居酒屋。東南アジアの高温多湿の空気に冷たい低アルコールのビアホイはと~~っても良く似合う。
さて、旧市街の細い路地を入って、いくつか目の角を曲がると、私たちが泊まっていたホテルに着くが、その最後の角にあったビアホイ屋、ほんの1.5坪くらいの空間に、ちっちゃなテーブルが3つほど、あとは踏み台のような、低いプラスチックの椅子が、無造作に道まで置かれているだけ。昼にしろ、夜にしろ、いつも決まった顔がある。
在住外国人の溜まり場のようになっている店に集うのは、かなりクレイジーな面々だ。
その中の一人、ポールが今回のディープな出来事のキーパーソンになるのですけどね。
二人で旅行というと、(ちなみに同行者は同性の仕事仲間でかつ、全くの恋愛関係にはない。)一緒の行動が普通のようですが、私たちは全く違う。というか、一緒に行動をすることが普通とは思っていない。お互いが好きなことをしているので、ケンカはない。。。あ、そうでもないか。連れは早起きで、私が起きると、もういない。部屋で煙草を吸いながら、コーヒーなんかを飲んでいると、元気いっぱいに、〇〇で朝ごはん食べてきました!□□ではこんなことが起こっていて笑っちゃいました!と帰ってくる。
なんだ、朝ごはん食べに行くなら、起こしてくれればいいのに。
えっ!だって、気持ちよさそうに寝ていましたよ。私、朝はお腹空いて起きるんで、我慢できないんです!
じゃ、明日は起こして!
いいですよ。でも、ちゃんとすぐに起きてくださいよ!
こんな感じ。
同じ行程の時は宿と夕食は基本的に一緒にとるが暗黙の了解。理由はコスト削減。昼間、別行動の時は、夕飯に出かける時間だけを決めて宿で落ち合うというパターン。今はスマホやSNSを活用すれば、もっと便利に行動できるかもしれないけど、今より工夫をしていたし、よく考えていたように思う。
私たちは縦横無尽に勝手に行動したり、一緒に出掛けたり、日に何度もビアホイ屋の前を行き来する。安宿街でアジア人の女性二人が、出たり入ったり、一人だったり、二人だったりというのは、どうも目立つらしい。2~3日ですっかりホテル周辺で生息している人々に十分に顔を覚えられたようだった。
さっき、トモダチがここを通ったよ。今日は一人でどこ行くの?と声を掛けられるようになった。私のサンダルはもうボロボロで、かかとのジュートがちぎれて、引きずっている。なのに、毎朝、毎回、同じ靴磨き少年が声を掛けてくる。サンダルに靴磨きなど必要がないと、これまた毎回、同じ答えをする。それももう、日課となった。
ビアホイ屋には、大抵決まったメンバーで占拠されていた。西洋人たちは殆どがオージー(オーストラリア人)、日に6~7回は彼らの前を通るのだから、自然に顔なじみになる。湿気の高い夕方、のどの渇きを覚えて、ビアホイ屋に立ち寄るようになると自然に会話もするようになった。
彼らの経歴はかなり怪しげだ。自称ビジネスマンや英語教師、世界の歴史や経済を酔い口で語る輩もいる。日本については、いきなりザイバツ(財閥)についての経済近代歴史が始まった。が、実際は酒と女と怠惰にどっぷり溺れているようにしか見えない。見た目で判断してはいけないと思うが、それは、通常の生活の中で関りをもつ人に対してだと私は思っている。彼の地の、特に海外旅行では、見た目の判断も大いに大事と思うし、親切そうに見えるおせっかいな人にはいつも注意アンテナを張るようにしている。彼らは、おせっかいでも親切でもないけれど、ここで見る限りの姿は、面白く、興味深い人たちでもある。が、同時に危険な感じがしないでもない。ドラックも手に入るのだろうか? 目の色が尋常ではない時もある。睨みつけるように、定まらない目でこちらを見ている時は、気が付かないふりをして、絶対に目を合わさないように通り過ぎる。
ホントに仕事しているの?と聞けば、英語の教師は、平均時給15~20US$くらいになるから困らないとうそぶく。この国の物価からすれば確かにかなりの高給である。で?昼からずっと酒飲んでいるわけか??
ホアンキエム湖のここは、北側の旧市街になるが、湖の反対側、日系の高級ホテルもある地域には、高温多湿の気候の下、日焼けを知らない肌に仕立ての良いダークスーツをピシッと着こなした欧米人が、ブリーフケースを片手に闊歩し、ヨーロッパのカフェさながらの、値段も充分に欧米価格のおしゃれな店で、アルファルファたっぷりなBLTを口に運ぶ。ほんの数キロの距離で生息する旧市街の欧米人は、毎日、昼間から地べたにしゃがみこんで、汗で所々、色が濃くなってみえる洗いざらしのシャツの袖を捲り上げて、ビアホイをすする。不思議な対象だ。
多湿の空気に吞み込まれて
何か暗黙のルールが存在しているかどうかは不明だけれど、現地の女性と西洋人の男性の不思議なカップルたちが妙に目に留まる。穿った目で見てはいけないと思うけれど、物憂げなけだるさの中に熾火のような熱気を感じさせている。
違法か合法かは別にして、世界中どこにもセクシャルビジネスは存在している。が、そういうのとは趣が違うように思える。単にアジア人と西洋人のカップルが目立つだけなのかなとも思うけど、孫ほどの年の離れた密着度高すぎのカップルであっても、女の子は幼顔をのぞかせながらも、充分にしたたかさを持っている成人のようだし、足を挫きそうな細いヒールで抜群のスタイルを誇示して歩く女性の隣で、マネージャーのように面倒を見ている髪の薄いおじさまは、まるで下僕のようだし、優美な美少年を引き連れた、ふくよかなおじさんはそれなりに頼りがいがありそうだ。そこに共通して感じるのは、少なくとも片方には明らかに恋は盲目の気配があり、それなりに駆け引きとロマンチックが交錯していて、真昼間の蒸し暑さに、さらにねっとりした空気を吹き込んでいる。
ついつい興味の目を向けてしまうのは、彼らは一夜限りの刹那を楽しむでもなく、醒めない未来への恋を育てている風でもない。濃密な空気のただようアジアの町角で、「恋に堕ちている」を演じている役者たちのようだから。
こんなに無防備に恋に堕ちる(?)なんて、羨ましい限りだ。やっぱり役者なのかも。。。
ここハノイも例外ではなく、町のあちこちでヘンテコリンな恋の花が咲き乱れていた。この旅の印象のひとつは、いつも男は女を追いかけているんだなぁと思うこと。のんびりとした旅の風景に滲んでいくコケティシュなエッセンス。それは三流のソープオペラだったり、吉本喜劇だったり、人が生きるって、なんてエネルギッシュでアンニュイでハッピーなんだと思わせてくれる。毎日歩くいつもの景色の中で、たくさんのドラマは同時進行していた。
ベトナムの美しき古都、フエに数日滞在していた時、自称実業家のフランス人旅行者の中年おじさんは、地元のお土産屋さんの売り子のおばさんを来る日も来る日も口説いていた。おばさんは、まんざらでもなさそうに大声で笑いながら、全く信用しない風にあしらっていた。最後に会った時の、おじさんの口説き文句はハロン湾に連れて行ってあげるだった。その前の日は指輪を買って上げるだったな。そして、それから数日後、ハロン湾のゲートウェイとなるここハノイで、本当にその二人に再開したのだった。ひぇ~!あのおばさん、なんだかんだ言いながら、ちゃっかりおじさんとハロン湾の旅行としゃれ込んだのか!
指輪は買ってもらったのかは、残念!聞き損ねた!
ふと、今思う。あれから時代は激変して、〇〇ハラスメントという言葉がしっかりと社会に根付いた。チープな恋愛劇を見ているような町角のドラマはそれはそれで面白かったし、それぞれの旅の楽しみ方なのかと受け入れることは難しくもなかったが、今はどうなのだろう。ソーシャルディスタンスも加わって、モンスーンのアジアのカオスの中の恋模様も色合いを変えたのかもしれない。
ちょっと惜しいというか、人それぞれの恋の駆け引きの面白さは、消えて欲しくはないと思う。これもフランス文化の影響か、はたまた旅の醍醐味か。
真昼間から、男と女はドラマを演じる
私たちはそれぞれの先の計画で動き始めた。中国行きの準備に入った友人を残して、マイチャウ村へショートトリップした私は、明日出発すると言う友人と再度ハノイで合流、一緒に最後の夕飯へと出かけた。今夜はこの旅の中で最高の高級ベトナムレストランへ。実におしゃれで美味しかった。
実は今回、屋台の味は「味精」という大人気の「味の素」に取って代わっていて、安価な所為か、グルタミンソーダ中毒なのか、1キロ袋をそのまま鍋にドバドバ投入するのだ!
インスタントが悪いとは思わないが、塩梅ということを知ってもらえる日は来るのだろうか!さらに、どんぶりに麺を入れ、スープを注いだ後で、またコーヒースプーンで味精を後追いにがばっと入れようとする!
あ”~~~~やめてぇ~~~!制止するのが早いか、彼女らの手が早いかの戦いですよ!
なので、残念ですが、屋台はあまりおすすめではなくなってしまった。夕方仕込みのスープをしっかりチェックして出かけないと2~3時間は口の中がむずむず、舌がマヒしたような後味の悪さに苦しむことになる。
翌日、彼女は、中国の寒さ対策でセーターなどを買いそろえていたが、既に穴が開いていた!とかぶつぶつ言いながら旅だっていった。
残された私は、帰国便のチケットを無駄にしないために、タイまでの航空券を探しに出かけたり、空港までの足を確保するための旅行代理店まわりも加わって、最後の町歩きを楽しんでいた。帰国が近くなると、慌ただしさと同時に名残惜しさも湧いてくる。出来る限りの記憶を貯めこもうとしていた。
いよいよ明日が帰国の日という夕方、例のビアホイ屋の常連、オージーのポールを旧市街の入り口あたりで見かけた。
ポールは薄いサンドグレーの長い髪を後ろに結んで、見た目は40代くらいに見える。いつも着古したコットンシャツの袖をまくり、ボタンの半分は外している。高温多湿の気候のせいで、いつも脇と背中が汗で濃い色に変わって見える。
彼とはすっかり顔なじみで、何度かビアホイ屋で話したことがある。過去にロックンローラーを目指していたというのは納得の風貌だ。ここで英語の教師をしていて、もう何年もこの旧市街界隈から外に出たことはないと語る。生まれ育った国での経歴については口が重いが、刹那的な人生を美化する哲学論をとうとうと語る。私にはよく分からない。ただ、言えることは、ある種の生き方をする人間達は、例外なく非常に良く似た考え方を語る、ということだ。それは一瞬、甘美な自由人を思わせるが、大抵、自分自身に対しての言い訳を語るに過ぎない気がする。ひどく穿った見方かもしれないけれど、自己流解釈した、陳腐な禅問答もどきを振りかざし、仏教(彼らはそういう)だの、神だのも登場してくると、あまり愉快ではなくなる。彼らはそれでも日々を生きているのだから、確かに神は寛大かもしれぬが。 いろいろな所を旅して、こうした人々に出会うことは少なくはない。何年経ってもこういう人たちの論理にあまり進化はないが、対する私の意見もさほど変化していない。「生まれ育った国でちゃんと生きられない人間は、どこにいってもちゃんと生きられない。」ということだ。何故かこの手の人達に共通しているのは、毎日、酒か薬を飲んで、同じ話題を飽きもせずに繰り返しているってこと。
ふと記憶が戻れば、コロナになる前、海外で旅行者たちと話をする時は、必ず第二次世界大戦が基軸になっていた。どの国も、戦前、戦後を比較することが分かりやすかったとも言える。これからは、コロナ(コビット19)が基軸になるに違いない。あの21世紀の吟遊詩人気取りの人たちはこの激変の時代に何を思って、どう暮らしていのだろうか。。。。
話は戻って、その日。ポールの登場はビアホイ屋ではなかった!
人や車も行きかう旧市街の大通りで、現地のお姉さんと響き渡るような大声でわめき散らしている西洋人男がいる。町中で見かけたことがなかったから、ポールに似ているな、くらいにしか思わなかったけど、近づいたら、正しく彼だった。へえ、ベトナム語も堪能のようだ。人々の注目を浴びながら、今にも女性はポールに掴みかかっていきそうな勢い!思わず立ち止まって成り行きを見ていると、後ずさりしたポールはポケットから、何枚かのお札を取り出すと、あまりよろしくなさそうな印象の言葉と共にそのお姉さんに向かって投げつけた!
わぉ!訳アリ!何、何?言葉が分からないから却って想像力が沸き上がる!何したの?どんな関係?別れ話のもつれか??
お姉さんは、彼を睨みつけたまま、取りこぼしなくお札を拾うと、何か悪態をついて、歩いていった。その後ろ姿にポールも悪態をついて、こっちに歩き始めて、私に気が付いた。
ばつが悪そうでもない。が、何事もなかったかのような笑顔も作れずに顎で挨拶をして来た。明日帰ると言うと、じゃ、いいお店を知っているから、夕食をご馳走しようと言った。
さて、これはどうしたものかね。
夕飯OKはその後もOKの意味の真偽は?
ポールは在住者なので、きっと観光客の行かないいいお店を知っているに違いない。これはとってもいいチャンス!旅をしていて嬉しいのは、現地の家庭料理や地元の人しか行かないような安くて美味しいお店に出会えること。
なかなか魅力的だが、よりによって信頼感も気もない奴と夕飯というのは、ちょっと引っかかる。ディナー(夕飯)をOKしたら、そのあとのお誘いもOKという意味だよと聞いたことがあったしなぁ。ポールならあり得そうだし、もしそうなったら面倒くさいなぁ。
そもそも彼の男女ルールが分からないし、さっきのもめごと見たばかりだし。下心が全くないのに誘うことなど彼にありなのか。
ここで仕事をして長いのなら、性犯罪者になるリスクは犯さないかなとか、毅然とした態度が最後までとれるかなど沢山の自問自答が一瞬の間に計算されて、食いしん坊は、あまり遅くならない時間で約束をした。
考えすぎかもね。彼は別に私を口説きもしないし、褒めもしないし、そういう意味での興味を私に持っているとも思えなかった。
それまでの時間、最後の画廊めぐりをして、ハノイっ子の憩いのホアンキエム湖で一休み。ぼうっと湖を眺めながら、何年か前にここに来たときは、オッサンたちが入れ替わり立ち代わりやってきて、湖に立ちションをしていたことを思い出した。文化の発展は良いことだ。今はだれもここをトイレ代わりにする人はいない。先進国を目指すということは、こういう小さいことから始まるのだね。日本もそうでした。最近は男性は立っての用足しも家庭では許されないようですけどね。
これが地元のエネルギー!
ポールが連れて行ってくれたレストランは、旧市街からタクシーで10分くらいのタイ湖の北側。とても徒歩では行けないところにあった。ビュンビュンすごいスピードが車が行きかう道路から土手下に平行して寂し気な生活道路があり、一見して暗い路地をタクシーは走る。しばらく行くと、隠微な空間にカラフルな明りが見え始めた。ここらへんはうわさに聞くショッキングなお肉の食べられるというエリアのような気がする。。。まさかね。。。
絶対に観光客は行かないなと確信できる木造の雑居ビルが並ぶ界隈。ところどころに、黄色やオレンジのネオン管が瞬きをするように、英文字をヒリヒリと浮かび上がらせていた。たしかレモンという単語が入ったお店だったと思う。道に人気はなく、倉庫のような建物に一歩足を踏み入れた途端、破裂するかのようにポップな音楽に包まれた。中は熱気に満ちた人々とグリルの香ばしい匂いで溢れかえっていた。
壁には無数のダクトが張り巡らされ、吹き抜けの2階のロフトはちょっとゾクゾクするようなコンチネンタル風の鉄板焼きレストラン。カラフルなプリントのワンピースを着た女の子たちがゆらゆらと踊るように店内を行きかい、楽し気におしゃべりに興じ、とびっきりおしゃれしたカップルはご満悦に食事を楽しんでいる。
ベトナムの人々の印象は表向きには、はにかんだような笑顔、高めの声で仔猫が鳴くように話す。小柄で華奢な働き者。よほどの観光スポットでない限り、しつこい物売りはいないし、内面の強さに反して物腰も柔らかな感じがしていたので、これぞ、見えない生活の景色と多いに驚いた。地元民で賑わう市場の食堂とはまた異なる若々しい熱気が伝る、ローカルな若者のトレンディな隠れ家レストランという感じ。ポール!やるじゃん!これこれ!地元に知り合いがいるとこういう体験ができるんだよね~。
店内を見渡せる2階の席に案内されて、メニューを広げると多国籍風のお料理が写真付きで並んでいる。久しぶりにニョクマムやパクチーの味から離れた料理を堪能。そのうちに、けたたましい嬌声と共に数人の女の子たちが私たちの席にやって来た!「今日は友人のお誕生日パーティーなのよ!」騒がしい店の音に負けじと大きな声で話でポールと楽しそうにおしゃべりをしている。屈託のない笑顔を見せるポールは、ビアホイ屋でのうつろな目や、昼間のケンカの時の顔とは全く異なっていて、優し気で理解のある素敵な大人に見えた。
生きてるってこういうことかもね。少なくとも、こういう店に来て、彼の人生観を英語で聞かされるより気楽だ。ベトナムは何を食べても美味しいわ!私はせっせと食べて、店に溢れる人々の模様を楽しんだ。
じゃ、ね!バイバイってな感じでそのうち女の子たちは離れていった。地元の女の子たちにもずいぶん知り合いがいるのねと訊いたら、なんと彼の英語の生徒なのだそうだ。へ~。やっぱり英語を教えているんだ。いつもビアホイ屋にいるから、仕事してないと思ったら、ちゃんとしていたんだ。
おー、やっぱりか!来た来た!めんどっちい!
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。翌日はタイに向けて出発しなければならない。ほろ酔い気分で旧市街まで戻ってくると、あ~、出た出た。めんどくさいお誘い。「僕の部屋でコーヒーを飲もう。」だよ。
何で?もう、日本語にしてくれぃ!って感じ。英語は理屈で出来ている言語なので、どうして?どうしてもだよ!って答えにならないのがいやらしいところ。映画みたいに気の利いたセリフが出てくれば良いのだけれど、字幕しか見てないから英語のセリフなんてわからないよね~。
一気に憂鬱。あ、そうです。ポールに恋に堕ちていたら文句なく覚悟を決めるだけ。その時に必要なのは、彼に変態趣味があるかないかの心配くらいでしょう。
でも残念ながら、ビアホイ・ポールは魅力的な人ではあったけれど、色恋に惹かれる人では全然なかった。そもそも、彼も私を好き(?)とかではないこともよくわかっていた。この人は多分こうして生きて来た人なんでしょうね、という感じ。成功率はどのくらい?って聞きたくなったけど、さすがにこの質問をするにはもうちょっと第三者的立場でないとまずいっしょ。夕飯を一緒に食べるとその後もOKと言う意味だよと誰かに言われたのはホントのことだったのかなと頭の片隅でぼんやり考えていた。明日早いからとかは全然通じない。ま、確かに子供じゃないんだからと言われたら、それはそうだなと自分でも思った。
「え~っ」とか、日本人っぽいセリフもアホみたいに幼稚、効き目はない。面倒くさいな。走って逃げちゃおうかな。昼間は札束投げつけてオンナとケンカしてた。夜は夜で、また性懲りもなくオンナを自分の家に誘っている。
あ、コイツ、家あるんだ。汚そうだな。。。。やっぱ奢ってもらうのはダメだな。割り勘にすればよかったかな。とか考えていると、そうだ!閃いた。何が?「一昨日来やがれ!」って言葉。あああああああ、これ言いたい!言いたい!どう言うんだ!
遥か昔ならったぞ!should have p.p. ~すべきだった(でも結局しなかった。)何故だか不明だけど、この構文が頭の中に降りて来た!
にっこり笑って、言ってみた。You should have asked me the day before yesterday.
英語の先生、ポール、その時までは怒ったように、「どうしてこの期に及んで断るんだ!」くらいの勢いでしゃべってたくせに、突然、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。ユー・シュッド・ハブ・アスクド・ミー・ダ・デイ・ビフォア・イエスタデー!
ポールさん、いきなりカタカナ英語で、両手を大きく広げて、道の真ん中でミュージカルスターのようにくるくるとターンしながら3回ゆっくりと大声で読み上げた。
ネイティブの彼にそれがどんな意味で通じたのかは分からない。けど、私の中での精一杯の「おととい来やがれ!」でした!
普通、ドラマはないから。
頭を振りながら、ポールは豆鉄砲を食らいっぱなしだったので、では、私がコーヒーを奢りましょうと近くのカフェにお誘いいたしました。彼はすっかり呆けて、さっきの構文を繰り返している。あらま、オカシクなっちゃったのかしら。もしかしたら、とてもお気に入りになった英語構文の出来上がりかも、それともよほど悪い言葉だったのかもしれない。ま、彼にとっては私の言葉はガイジン英語に過ぎないからね。どう捉えられても問題ないし、夕飯食べたくらいでそのあとのお付き合いは私にはないわ。
もちろん、相手によるかもしれないけどね。と心の中でしゃべりつつ、またハノイに来たら、あのビアホイ屋に行くわ。元気でいてねと明るくしゃべっていた。こうして、出来そこなったカップルは、恋愛ドラマの素材にもならない結末で薄っちいネスカフェを啜って終わったのでした。せめて濃厚なベトナムコーヒーを出す地元カフェに行けたらよかったのですけど、そういうお店は早じまいなのでね。
旅は素敵な出会いに満ち溢れている!
旅は本当に素敵な出会いに満ち溢れている。ポールももちろんその一人。自由旅行と言うと、例えばパリの町角で素敵なジェントルマンに出会うとか・・・・。飛行機で隣り合わせたお金持ち(?)の紳士にお食事に誘われるとか?・・・・いいねぇ、そういうの。そう、それはきっとゼロではない。
私の場合は、地図を持って道を聞く観光客を装ったおじさんにローマの町を追いかけられたり、世界遺産の建物の近くで知らぬうちにロマの家族に囲まれてバッグを開けられそうになったり。そんなのに比べたら、ポールなんて、自由気ままに生きているいい奴の部類に入る。
それでもね、このディープな体験は、たまたま笑える思い出話で終わったけれど、私にとってはある種の戒めにはなっている。
ほら!やっぱり海外で個人旅行なんて怖くて出来ないじゃない!と思いそうだけど、自分の尺度と他人のそれが決して一緒ではないことは、同じ国の中でも起こるし、悲惨な犯罪は見ず知らずの人からより、顔見知りが多いのは万国共通のこと。
日本だって、普通に電車に乗っているだけで殺されちゃうかもしれない国ですし、泥棒だって、窃盗だっているでしょ?
スリが多い国とガイドブックに書かれていたとしても、そこの国民が全員スリなわけではない。普通に仕事して、恋して、子供を育てて、老若男女が暮らしているところです。そう、私たちが住んでいる国と同様に。
素敵な出会いはね、ちっちゃい子を連れて散歩をしているお父さんと舗道のベンチで話したり、バスで隣り合わせた国語の教師という女性に英語の発音を何度も練習させられたりね。現地ツアーに乗れば、各国の旅行者たちとそれぞれの国の紹介をしあったり、初めて聞く日本語や日本の話にこちらがびっくりしたり。そんな時は、自分はちょっとした民間外交官だなって気分にさえなってしまう。毎日、毎日、新しい出会いと出来事が繰り返される。
言葉が上手く出来くても、丁寧に注文を聞いてくれる町角のカフェのお兄さんだって、小銭がなくて切れた公衆電話の前で呆然としていたら、何故だか様子見に来てくれたタクシーのおじさんとか。運だけとは思えない、まさに魔法のような素敵な偶然と出会い。そして、「バイバイ」ではない、期待に満ちた「またね。」のあいさつの別れ。
どんな場所に行っても、親切であたたかい人の方がずっとずっと多いことは絶対の真実です。
旅って、いろいろ体験して、出会って、心豊かになることだから、その時の答えは、きっとそれぞれの人が出せると思うんだ。だから、基本は無事に帰ること。究極、帰るために出かけているようにも思うんですよね。
「生まれ育った国でちゃんと生きられない人間は、どこにいってもちゃんと生きられない。」これは、何度も旅をして私がいつも思うこと。誰も知らない国に行きたいという気持ちや、自分探し、逃避も充分に旅の目的になると思うし、私自身も何もかもが嫌になって旅に出たこともある。そして、知らぬ間に一生懸命な旅をして帰ってくると、すごくフレッシュな自分が再生してるんだよね。
世界の名所のここに行った、あそこにも行ったといのも素晴らしいことだし、名画や音楽を鑑賞するのもすごく楽しい。でも、自由旅行の本当の楽しさは、そこに行くまでの道中も含めて土地や人々を感じることじゃないかな。
そう、私も次は、素敵な人にナンパされて困ってみよう!どんなドラマになるのかしらね。
期待を大きくして、コロナ収束、早く海外に出られる日を夢見ているぞ!