コロナについて考えた。そしたら次の旅が見えてきた。
息苦しいコロナ禍で旅行の次は何がいけなくなるのかなぁ?
ある英会話学校の生涯学習のクラスを受講していたことを思い出しました。先生はアメリカ人、英語でしか話さない。(何年も経ってから、実は日本語が話せたことを知ったのだが。。)
少しでも語学を学習した人は気が付くと思うのですが、語学って、文化なんですよね。だから、英語が上手な人が、正しい言葉を使いこなしているとは限らない。
私たちは日本語を母国語にしていますが、流暢に話している人がすべて正しい意味で使いこなし、話せているかは別問題ですよね。それと同じです。
この社会人クラスでは、大抵、その時の時事ニュースが取り上げられていてね、まあ、ビジネス英会話と言えばそうなのだけど、読み解く力の方に重きが置かれていました。母国語を正しく使いこなすことが、語学が出来るの基本中の基本なのだということでしょう。
実はそれ、旅行プランニングと同じ理屈なんです!
ニュース。どのメディアでも良いのだけど、出どころがどこで、誰がどんな方法で何を伝えようとしているのか。旅行のことに関わっているので、やはりコロナのことや、連日悪者みたいに報道されるGo To キャンペーン関連はすごく気になる。
でも、何だろうな、全然信用できないなぁーって思うこともあるんです。つまり、自分で知らないことは、なるほどー、そうなんだって鵜呑みにして信用してしまうくせに、よく知っていることについては、こいつら、勝手なこと言って、よくもこういう誤りを確かめもせずに報道番組でやるなーとか思ってしまうんですよね。特にそれなりの肩書で紹介されて、そのギョーカイのプロみたいな人が、事実ではない話を決めつけるように話していたりすると、聞こえもしないのに、テレビの前で大声を出して「嘘つくな!」とシャウトしてしまったりします。(SNSに書き込む行動は生活圏にないのでしませんよ。)
海外旅行がシャットダウンしてから、Go To トラベルや東京割もおすすめをしているのですが、お問い合わせいただくメールやお電話の中には、どうアドバイスしたらよいのか、お応えしたらよいのか、悩める乙女(?)の気分になる場面が頻繁に起こるので、久しぶりに悩ましいため息が出てしまう日々があります。
世の中の当たり前なのかもしれませんが、情報のインスタントというか、ダイジェストを知っていることですべてを知った気になる、という現象。もう一つは、ネットの検索の上位にあるものが、本当の情報と思い込んでしまう現象。
「ニュースで見たんですけど」「ネットに書いてあったんですけど」、これらの質問は、そのニュースソースが事実である前提なので、それを否定することから始めるとなると、ご依頼のお答えから随分と遠のいてしまう、いや、質問自体が存在しないことになってしまうのです。
あまのじゃくでもいいから、とにかく疑え!
変なところでせっかちな私は、焦って判断して失敗することが良くあります。ちょっと考えれば分かることなのに。あ~また!と後悔ばかり。学ばない自分を叱り飛ばしています。
私はけっこう嫌な奴(?)なのですが、とかく日本人は素直で疑うことが苦手です。最近は逆手に取った犯罪も多くなるし、はっきり断れないことで、知らぬ間に加害者になってしまうこともありますよね。
騙された方が悪い、なんてことは絶対ありません。騙す方が悪いに決まっています。これを大前提で言えば、人を信じるために疑えです。一方で騙すつもりなんてなくても、結果として騙したことになるのも世の中です。そして、決して嘘ではないけど、見方、考え方、ほんの一部では事実が異なるということがあります。見えない電波によって、ありとあらゆる方向から情報がやってくる社会では当然起こることです。そして、そして、今や、平気で詭弁と言い訳で嘘を上塗りしている政治家たちがいる国で私たちは生きていることをよく知っておく必要はあるともいます。
これホント? みんな言ってる「みんな」って誰よ。~らしいよ。それ、どこから出た情報? 真実を知るために疑うこと、いつか自由に海外旅行を目指している人には絶対に必要なスキルです。
つまり考える力。これを養うことがものすごく大事なことだと痛感します。
先に答えありきで誘導されていないかを考えてみる。。。
裏どりというのが、ニュースの鉄則。ジャーナリストさんたちは本当によく勉強をしているし、理路整然と考える術を身に着けている。感情論でものを考える私とは、細胞の作られ方が違うように感じることしょっちゅうです。
今回のGo To 狂騒曲のわさわさは、テレビのコメンテーターの勉強不足というか、職業意識にあるようにも感じてしまいました。まず、「嘘ばっかり~!」と私がテレビに向かって叫んだ時、それをフリップを使って説明していたのは、アナウンサーでした。が、ここが問題です。今、これらの人々は「ニュースキャスター」という肩書を使っていたりするのです。ニュースキャスターとアナウンサーは全く違う職業です。アナウンサーは、届けられた原稿を正確に読み伝えるという職業。ニュースキャスターはアメリカで生まれた言葉、職業ですが、難しいニュースを分かりやすく解説したり、ゲストやコメンテーターたちの意見を取りまとめたりして番組を進行させていきます。アナウンサーと一番大きく違うのは自分の意見も言うということです。
そういう意味では、ジャーナリスト的な役割も担っているわけです。
昨今、コメンテーターもその情報に携わるプロではなく、タレントであったり、スポーツ選手だったり、多岐にわたっています。あきらかに原稿を読んでいるだけの人も見受けられます。本来コメンテーターは、取材、調査、データに基づいたものを持っての補足説明、論評や批評であるわけで、「僕的にはこー思う」なんてSNSでつぶやくような素人ではないはずなんです。舞台俳優さんが、舞台や芸術の話をするのだったら、その話題のコメンテーターとしては最適だってことです。
私たちが、昨日、テレビで言ってたとか、ネットに書いてあったというのは、ある意味非常に無責任な、良く分かっていない人がたまたま原稿を読んだ、〇〇だと思ったので、書いた(私みたいなひと?)に過ぎないだけかもしれないのです。
そう、誰かが原稿を書いているのですが、日々めくるめく情報の渦の中でどこまで裏どりをしているのか。。。ある意図をもって誘導されてはいないか疑問に思ってみる。そんなに難しいことではないのです。そのスマホの上で振っている指を緩めて、ちょっと冷静になって考えてみれば良いのです。
ニュース映像などもかなり疑わしいものもあったりで、脳トレと思って冷静になれば「おかしいな」は様々な場面であります。そう、私たちはディープフェイクなるものと混在していく世界の深みにどんどん沈んで行っているのです。
IT社会で生きていると、すごいスピードで脳みそに情報が入ってきます。特に若い人たちは、スマホを片時も離さずに、ものすごい速さで上下にスライドさせて情報を読み取って行きます。
記憶も一瞬、考えること、してなくないですか? ああ、そんなことさえも考えていないか。。。。
こちらは昭和生まれだし、ケータイなんてない時から生きているし。それにさ、神戸阪神大地震、東日本地震とかも経験していると、電波が入らない状態や停電、情報がない不安、あるからの混乱を見てきているからね。
何を当たり前と考えているかは、人それぞれの生活環境で変わるはずなのに、自分がすべての基準と考える人々の怒りや不満、結局、誰かの所為にしないと自分を救えないのかなと感じる。
それでも夜から朝へ進んでいくように、絶望の中からも希望を見つけようと自然と心動いていくこと、サバイバルとアナログの能力をとても大事なことだと痛感しているのですが。。。。ある意味、スマホ脳の人、畏敬の分も含めて怖いな・・と思うこともあり。。。。時の流れってのは、ねぇ。
見る角度を変えれば、長所と短所は同じになる。
トランプ大統領が誕生したときに、国家のトップが記者会見もせずにツイッターで政治のことをつぶやくなんてと世界中がびっくりして批判したけれど、今はだれもそんなことは言わないし、世界中の政治家たちが呟きはじめている。(自分でツィートしているか、担当者がいるのかは不明だけど)ものの見方で報道の表現は変わってくる。だから、トランプ大統領の初期のフェイクニュース発言は、ある意味、理解できる部分はあったのに、暴走気味に都合の悪いことはなんでもフェイクニュースで済ませてしまったら、これ自体が陰謀のフェイクだらけになってしまった。
すべて諸刃の剣なので、その場の都合に合わせていると自分で蒔いた画鋲の上を歩くことになりかねないことも知っておくべきだし、今のフツーは、過去の異例であり、いい意味ではパイオニアと呼ばれることも知っておきたい。特にITやAIなどと共存していく世界になると、便利と引き換えにする不便を知ることは大きな意味を持つようになる。
どんな便利な世の中になり、オンライントラベルが出来ても、旅は絶対的にアナログなもの、匂いや質感、疲れたり、お腹が五感で満たされたり、つまり、行動する人の温度感は絶対だし、自分の足で歩いて、考えての行動、つまり人間の基本が凝縮されている。危機管理能力はとても大事なことになる。今、とても面白いオンライントラベルはどんどん生まれているけど、それで満足はやはり出来ない。行った気になるより、行ってみたいという気持ちが高ぶってくる。たとえそこに、虫がいても、スリがいても、五感と、時々第六感も使って感じる未知の楽しさはまさに血沸き肉躍る!
リスクを考えること、今やっておけば、コロナ後に自由に世界に飛び出すためにはとても重要。外国に行くと、自分たちがガイジンになりますよね。言葉も通じないし、ものの見方も正義も違うかもしれない国で、自分の当たり前をぶち上げてもあまり意味のないことはわかるよね?
その中で、正しい情報を掴み取るのには、自分の欲しい生活と、そのでの当たり前の生活の両方を見られる目ということになります。ステレオタイプで見知っていた情報が、まったく異なっていたことに気が付くのも見方の方向を変える能力です。ニュースはその国を中心に報道されていることを否応なく思い知るのも外国旅行の時です。見る角度を変えること、今すぐにでも意識すれば、自然に身に付くテクニックです。
情報筋・関係筋によると、ってどこ?誰?疑うメソッド
ニュースや新聞で「関係者」や「その筋の情報によると」なんて無意識に耳にいれていませんか? それ、誰だろう。ジャーナリストたちは普通、裏どりをしている。つまりリークしてくれるスパイ(?)のような人をキープしてたりもする。なので、誰から聞いたと具体的に名前を出せない場合もあるかもしれない。またその裏をかけば、リークすることで、騒ぎになれば世の雲行きが変わるともくろむ人がいないとも限らない。。。。この世は狸とキツネがいっぱいいて、その人たちの思惑は、世間という目に見えない群衆の「気の方向」を自分の都合の良い方向に向かせることも含んでいるのですね。こうなるとなんだか怪しい、それこそテレビの見過ぎの陰謀論のように思えてきますが、殆どの報道に携わる人は、真実を伝えようとしているし、公平であろうとしていると思います。しかし、その思考の中心はどこか、と考えると、これはその人たちの正義の位置にもよります。
海外に行くと、よく、ボラれたとか、騙されたとかの話しを耳にしますが、よくよく話を聞くと、そうとは言い難いこともけっこうあります。その国の当たり前のポジションが私たちの国と違っていることは普通だろうし、決して日本人が親切でやさしいとも限らないこともあるのです。
大事なことは、そういう多様な世の中で生きていることを知り、真実を見抜く力と判断ができる力を持つことだと思うのです。少なくとも、このブログを読んでいる人は、ワイドショー的な番組のゲストコメンテーターよりは、ある部分であれ、プロフェッショナルなものを必ず持っているはずです。ふ~ん、そうなんだ。ではなく、それどういう風に本当なの?と考えてみること。その方向性が、一人だって安全に世界に羽ばたけるようになる第一歩なんです。
安全に安心して暮らすということ
ニュースで見る映像や、インタビューですが、当然、そこには取材と編集がある。似たような時間に似たような番組をしている、ネットニュースも似たようなコンテンツがある。そこに視聴率やダウンロード数の戦いがありますよね。当然、脚色が入る。嘘を報道しているわけではないですよ。コンセプトに沿った番組が作られてしまうのです。今はとにかくコロナ一色。目新しい題材がないと、飽きられてします。そうするとどんどんニュースソースが過激になってしまう。例えば医療現場が大変だということを伝えたい。他局に負けないようにセンセーショナルに訴えたい。映像、インタビュー構成や、資料。そこにはいいか悪いかは別として、意図されたものにならないとは限らないのです。
この病は、世界中の人々が初めてなので、どれが本当か、その実態も分からない。分からないものは怖い。必死で伝える報道も、実は手探り、その道の専門家の言葉を信じるしかないけれど、専門家は一人ではない、そして未知なるものにそれぞれの意見は異なる。
情報を一つでも誤れば、パニックになる。それが過ぎると、驚くほど他人事になって、恐れなくなるということも知った。状況が変わらないと、意識が平気に近づく。
ワニがたくさん住んでいる川のほとりで暮らさねばならなくなったとして、ただ怖がってじっとしていれば、飢え死にするだろうし、ふらふら生活していれば、ワニのエサになってしまうだろう。
そこで、ワニの生態を正しく学んで、知ることで、安全に安心して暮らせるようになるだろう。それでも、慣れや油断をする人間だから100%の安全はない。リスク管理は普段から必要な基本の生活能力ですよね。
アオリ運転する人も、酒を飲んで運転する人も、高齢者ドライバーもゼロにはならない。危険な人々を排除したって、どんなに気を付けていたって、交通事故というものは、そこに乗り物や移動する人々が存在していればゼロにはならない。どんな悲劇的な事故が起こっても、殆どの人が車の生活を手放さない。飛行機にも乗る。どれも根底にあるのは同じことだと意識してみよう。
旅=生活、生きて活動することなので、今のコロナ禍の生活は、旅行をする能力を付けるのに大変に勉強ができる時期だと思っているのです。いつか、きっと世界に旅立てる日がくるからね。
今行ける海外!