あの子は英語が喋れない。でも世界中を一人で旅している。
始まりは、仕事で知りあった人が、海外の大学を出て、日本で通訳をしていたこと。楽しそうな話につい乗って、初めての海外旅行。不安は山積み、右も左もわからないだったけど、ゲストハウスまでやっているというし、一緒に旅してくれると言うので、荷物の選別から手伝ってもらって、ドキドキワクワクの悠久の大地インドへ。
そしたら・・・・。なんと1週間には、にわかバックパーカーの出来上がり。泣き泣きしながら、一人でカルカッタ(現コルカタ)から北インド、ガンジス川、そしてパキスタン側のラジャスタン州へ。それから5週間後には、なぜだか引き続きオーストラリアで旅をしていた。すべて失くしたと思っていたら、手に入れられたものはとても大きかった。それは私の思考の大きな転機になった。旅はいろいろなものを与えてくれる。
自由に自分らしく生きる。誰でもきっと出来ることだと思う。いろいろな世界を知ることで。
瞬く間に世界中に広がった新型コロナウィルスは、まだ収束が見えませんが、きっと自由に旅が出来る日を信じています。新しい生活と言われていますが、まだまだ手探りです。感染を恐れることも、油断しないことも大事ですが、つくづく接触を失うということが人間にとって、不健康だと感じます。運動量が減る、外出が減ると、精神がちょっと病んでくる感じです。久しぶりに海外の旅を題材にしたドキュメンタリーなどを観ると、やはり人々は実際にそこにいて、会って、しゃべって、飲んで食べてがとても素敵なことだと実感します。
大事なことが見えてきました。忙しさになかなか飛び出せなかった海外旅行。リモートで仕事も出来ることがわかったし、(旅行中に仕事もどうかなとは思うけど。)考え方によっては、今まで以上に長期の旅行が可能になるような気もする。メリハリつけながら、PC持って海外旅行、時々仕事なんてかっこいいじゃない!
特に外国語の必要性なんて考えたこともない環境で大きくなって、本当にひょうんなことで、デカいスーツケースを持って、海外に出たら、数日でリュック借りて一人旅の出来上がり。まったくの計算外、予想外。未知なる世界にデビューしちゃた。
一緒に旅行する人がいきなり現地で別の人達のガイドをすることにしたと、ルートを翻した。裏切り行為だ!そこから私はガイドブックを読み、一人で外を歩いてみた。
場所はインド。文字はぐにゃぐちゃだし、みんな首を横に振って、イエスなのかノーなのかも分からないし。当然、何を言ってるのかも全く不明だった。かなりの大人だったのに、道を歩きながらも恥ずかしげもなく大泣きした。悔しくて悲しかった。
その時、60歳のバックパックの日本人女性と出会った。仏頂面の私を横目に、はにかんだ笑顔でリュック背負って旅をスタートさせていた。
その数年後、アメリカのグランドキャニオンで、やはり60を過ぎた日本女性に出会った。とてつもなく元気な英語ペラペラのガイドさんだった。
そうして、私の目標はクールなハンサムレディたちによって作られた。旅は不老不死の薬だって、きっと分かるよ。やってみたら、その効果は絶大なんだから。
私はこの旅の続きでオーストラリアで知り合った人との縁で、英語も殆どわからないのに、インバウンドの仕事に挑んだ! だって、その人、言ったんだ。「世界中の人が英語を話すわけじゃないわよ。」って。
自由旅行に必要なことば
一人で自由に旅行をしてみたいという人には、本当にいっぱい出会う。生きることが数倍楽しくなるエッセンスはもう手に届くところにあるのに、多くの人が言葉の問題を口にする。言葉が出来ない、言葉が話せたらどんなにいいだろう。でもそれって、行きたくても行けない理由だろうかと最近疑っている。
もしかしたら、無意識に、自分の言い訳に刷り込ませてしまっているのでは?と感じているんだ。確かに海外に行くと、日本人は世界で一番外国語を話さない民族だな、と感じることは多い。でも、それは、言葉が出来ないのではなくて、しゃべるのが怖いというか、そもそも人前で発言することが苦手なのではないかと感じることが多いんだ。
この壁を壊すのには、いくつかの矛盾してしまうアプローチが必要だと思うけれど、結局は自分自身の問題に行きつく。なので、もしも、言葉ができたら、自由に旅行が出来るのに、と思っているのなら、乱暴ではあるのだけれど、順番を逆にして、自由に旅行をして、言葉を出来るようにする。この方向に思考を変えてみたらどうなのだろう。
そんなの無謀で恐ろしい!なんてことはない、ジョン万次郎や大黒屋光太夫は多分日本語しか出来なかったはずだし、そもそも旅行は計画が出来る冒険で、着の身着のままで漂流するのよりずっとお気楽で愉快なことだもの。
語学はちゃんと学ぶべし。が、その前に。
基本、海外旅行に便利なのは英語。日本の義務教育中に出会う外国語であるし、世界で最も使える言語も今のところ英語です。とりあえず、旅に出たら、何でもどーでも良いので、通じれば良いのです。カタコトだろうが、ヘンテコだろうが何でも良いのです。
とあるお笑い芸人さんが、えらくブロークンな言葉で海外でちゃんと目的を達している番組を見たことがある方も多いと思いますが、通訳ガイドをしている人々にも、「あれでいいのよね」と話題になるほど、あれが正解です。お笑いどころじゃありません。素晴らしい旅のノウハウだと思います。
笑いながら、あれならオレでも出来るよと思うかもしれませんが、最初が難しいのです。見知らぬ外国の人に話しかけるという行為にかなり勇気が必要で、まごまごと時間がかかって、よほど切迫していないとあきらめてしまいがちです。でも、はじめの1回だけです。その1回をするためには、やってみる以外にありません。話せる話せないの第一歩は、外国語ではなく、声を掛けられるかどうかの方なのです。
通じりゃなんでもOKか?
大冒険、バックパッカーデビューのインドで、やたら流暢な日本語を操る人々がいっぱいの場所がありました。ブッダガヤという仏教の聖地です。多くの日本人ツアー客がお釈迦様が悟りを開いたという菩提樹を見に来ます。そこには世界中からのお寺もあって、日本寺も勿論あります。そこの住職さんが地元を人を集めて無償で日本語を教えたそうです。ただ、残念ながら日本人の心までは教えるに至らなかったようで、日本語を操って、みんなものすごいぼったくりの商売を始めて大金持ちになりましたとさ。シニカルなお話しですが、皆さん生活がかかっていますから、観光客相手に熱心にもっと生きた言葉を習おうとします。基本、好奇心旺盛な若者たちです。そうすると、良からぬ日本人もいっぱいいるようで、スラング、放送禁止用語を教えるみたいなんですね。万国共通で、放送禁止用語は非常に覚えやすく(?)、聖地で聞くとは思えないような単語をみんな大声で叫びます。日本人の驚く、そして笑いでごまかすジェスチャーは、彼らにはウケているように思うのだから本当に始末が悪いです。
こんなことは、アジアの国ではよく体験しました。日本人のリアクションが楽しいのか意味も良く分からず、リアルタイムの流行語をみんな正しい発音で聞かせてくれました。
片や、美しい日本語を話す人に出会うこともあります。まさに教育された言葉です。日本に憧れて、正しい知識を持った人は、美しい言葉を話します。そうすると日本人としてはとても嬉しい気持ちになります。
よく、日本で習う英語は堅苦しい、もっとフレンドリーにと教える人にも出会います。せっかくきれいな英語を話しているのにね。ハローじゃなくて、ハイ!の方がいいよなんてレクチャーしていたり。
あまり外国語を得意としない島国の日本人にとっては、多くのエキスパートの語学哲学に一喜一憂し、あっという間に話せるという謳い文句に飛びつき、政府は小学校から義務教育にするとさえ言う。どれも正しいのでしょう。私もよく「ぺらぺら」でしょ?といわれますが、んなわけがない。語学堪能な方々からは、相変わらず「語学力がない」と言われています。
旅をするのに困らない程度の語学力に、ビジネスで折衝ができるレベルは求めないでしょう。でも、たいして上手でもないのに、へんに馴れ馴れしい言葉を使うより、たどたどしくても、丁寧なきちんと教育された言葉を使ったほうが、絶対印象はいいと思いませんか? なので、言葉を習得しようと思うのなら、ちゃんと学習したほうが良いと思うのですよ。
知らないうちに、フレンドリーだと思って、場違いなTPOの言葉、しゃべっていないか。よほどのペラペラでなければ、教科書英語の方が印象が良いってこともあると思いますよ。
英語は英語ではないというおはなし。
英語を母国語とする恋人たちのケンカはとても面白く、アイルランド人とカナダ人。オーストラリア人とイギリス人。同じ言語を使っているハズなのに、意味が通じずのケンカ。仲裁に入る友人たちは、国ごとにサポートに入ってその意味を説明する。えっ!そういう意味なの?
直訳すると、「パンツについたウ〇コ」みたいな表現、そりゃ怒るよ!でもそれがすごい愛の言葉だったり。英語が母国語だからこそ、大問題になる、だって、共通語を話しているのに、全く意味が違ったり通じないのだもの。
アジアでも公用語として英語を使う国は多い。例えば、マレーシアとシンガポール。お隣の国だけど、ここの英語も違う。英語だけど、スペルも違う。使い方も違う。現在過去未来形と動詞も同じ。けっこう日本人にはラクチン。シングリッシュとかマングリッシュとか呼ばれる。
インドに行くとみんな巻き舌、聞き取れない。マーケットもマルケット。ん~~~。でも彼らはイギリスの植民地だったからこその英語が公用語だそうで、胸を張って、我々が話す英語は、ブリティシュイングリッシュだと言う。私自身も、ブリティシュイングリッシュなるものがどういうものかよくわからないので、うむムムム・・。そうなんだ。。。。と。エリザベス女王のスピーチとはずいぶん違う気がするけど。。。。
イギリス人と話をしていたら、日本人が習っているのは英語ではなく、米語でしょ?とまじめな顔で言われた。イングリッシュではなく、アメリカンという訳だ。そんなの分けて考えたことないよー。どうもアメリカンはあまりお好きではない風な???
一緒に仕事をしていた同僚はそれこそ英語ペラペラでかっこよかったけど、あるクライアントさんに、彼はカナダに住んでいたのね?と聞かれて、え?聞いたらその通り、カナダからの帰国子女でした。私には、英語だということは分かったけど、どこの国の英語かまでは分からない。
かつて日本で英語教師をしていたオーストラリア人の友人は、英語って、世界の多くの国で使われている言語で、それぞれの国で使われている英語はどこもその国では正しい。だからこれが正解というのはない。
日本人が英語が苦手なのは、完璧な英語を話そうとしているからよ。だってさ。
ふむ。多分、多くの世界中の人は、日本人が英語を母国語としていないことは知っている。なので、下手っぴでも、多少失礼な言い方だとしても、へんてこりんだとしても、誠意を込めて話せば誰もが理解してくれようとしてくれる。戦争が起こるかもしれないような国際会議でのスピーチじゃあるまいし、旅行を遂行する言葉など、手振り身振りでも、紙にイラスト書いてでも、通じりゃなんでもOKでもあるわけですね。
ラオスの町角。なにやかいかがわしく怪しげなものを売っているおばさん。私はラオ語はサバディーとコップンチャーライライ。現地で聞いた怪しげな発音でこんにちわとありがとうだけを操る。
これなあに?と日本語で聞けば、手振り身振りで聞こえる不思議な音声。きっとこう言っているんだなと脳みその中で勝手なストーリーが滞りなく作られていく。会話はサウンドだけで間断なく続く。
とうとう、にわか販売員になって、日本語で漢方薬(という想定)を売ることになった。物珍しさも手伝ってか、人は集まったぞ!
お腹の皮がよじれるほど笑いあって、別れ際、写真を送れとおばさんたちは言う(多分)アドレスは?と聞いたら、何と英語でノートに書いてくれた。住所はP.O.Box (私書箱)宛て。
まぁ驚いた。このラオ語だけを操る辻売りのおばさんは、世界中に友人たちがいるに違いない。
今頃は、SNSで世界中と繋がっているかもしれない。言葉なんて単なるコミュニケーションツールの一つに過ぎないよねというお話。
結局のところ、言葉なんてなんとかなる?
ここまで書くと、何を言っているのかわからないけれど、要は言葉は文化なんです。旅の共通語として、やはり英語は多少必要ではあるけれど、英語が物理的に上手にしゃべれるのと通じるのかというのは別次元の話です。
同じ言語を話していても、文化や価値観が違えば、まったく違う意味で解釈してしまう。言葉が通じているという大いなる誤解をして、却って思い込みで混乱していまうこともあるってこと。
簡単な例でいうと、アメリカは華氏、イギリスは摂氏です。日本は摂氏を使います。重さや速さも国によって違います。今日の気温は77度と言われたら、私の言葉がうまく伝わっていないと誤解するかもしれません。華氏の国と分かれば、ああ、ちゃんと伝わっていると分かるでしょ?
言葉が話せることは、意思疎通の意味でとても大事です。だから、当たり前ですが、習得したほうが良いです。ですが、それより大事なのは、その国の文化を知ることです。そうすれば、カタコトの言葉でも的確な意思疎通が出来るようになります。
旅では自分自身がそこで経験することが、言葉の起源になりますから、より造詣の深い言葉を使えるようになるはずです。
異文化の場所を旅する時に、言葉の問題で必要なのは、最低でもその国のあいさつ位は覚えること。そして、その背景を知ること。たいしてことではありません。さらっと読みがちなガイドブックの基本情報をじっくり読むこと、ウィキペディアについては、常に加筆されているようなので、情報は新しそうだし、利用頻度は高いのですが、信ぴょう性は保証対象外と理解して読むと役立つと思います。そうなんだではなく、そう書いてあった(けど本当かな)という知識しておけば、現地で話のネタにもなるでしょう。
1999年の金賞受賞作品
ちょっと外れてしまうかもしれませんが、文化を知らないと言葉が出来てもアウト!というのは、世界的に権威のあるカンヌ国際広告祭で1999年に金賞を受賞したブローデン航空(現スカンジナビア航空)のCMがいい例になるかもしれません。題名も確か「日本人」とダイレクトだったと思います。
これは、日本人がおしぼりを知らないで、飛行機の中でけっこう恥ずかしい行為をする内容です。今なら差別として扱われかねない作品ですが、会場は大爆笑だったとか。審査員が全員一致で金賞に推したらしいですが、その中に日本人がいました。大変に語学も堪能な方だったらしいのですが、受賞後の審査員としてのコメントで「日本人は~」から始まる内容もなかなかの冷笑ものでした。どうやら、彼はおしぼりが日本発祥の文化で、JALが最初に採用したことも知らないようでした。
大手の広告代理店の方でしたが、当時、悪い言葉で(当然その時の日本人は怒っていましたから)「国際人ぶった」とか「外国かぶれ」とかの言葉がマスコミに載りましたが、それに反論された記憶はありません。
言葉が堪能という言うだけで、ステレオタイプの日本に疑問も持てない日本人の恐ろしさを感じますね。これが、外国語を習うより大事なこと、文化を知るということです。少なくとも、その作品が素晴らしく金賞になったとしても、もう少し違うコメントになったでしょうね。
最近では、ゴルチェ&ガッパーナが中国のCMで大炎上してしまったことがありましたよね。「言葉は文化」からは外れてしまうかもしれませんが、コミュニケーションツールの一つと考えれば、同じことです。正しく文化を理解する、訪れる国に敬意を表する。それは、旅に限らず世界の人々が気持ちよく生活するために必要なものだと思っています。同時に自分たちのことを正しく伝えるのための知識も必要となりますよね。
実際、外国にでると、いかに自分が自国のことを知らないかと痛切に感じることがあります。これじゃ、言葉が出来ても、伝えられないじゃん!って。そうして、旅は知識と好奇心を増やし、あ、せめて英語勉強しなきゃなと思うのであります。
日本人の前で話す英語が一番恥ずかしい。
これは私の感想です。日本人って、英語でなんて言うの?って場面で、必死で文法で組み立てる。ほんのちょっとでも、それ違うよ。みたいなことになって、話せなくなる。要は、恥ずかしい思いをするのが嫌だから。
上手い人の前で話すのは、チョーみっともなく、情けなく恥ずかしいし、自分から話さない人に限って、文法がとか、単語がとか言いやがる。じゃ、お前が言え!っていうと、あたしは出来ないからって逃げるでしょ?
けどね、旅の場面では、とにかく意思を通じさせなきゃ、飯も喰えない。行きたいところにも行けない訳なので、英語でなんて言うの?なんてかまっちゃいられない。英語は共通語というけれど、国によって、英語なんて同じじゃないし、うまいとも限らない。
単語の羅列でつらいのは、我が母国語と、英語の決定的な文法の語順の違い。こちらも焦っているから訳が分からない単語の羅列になる。相手が分からなそうにしていると、分かるわけないよね、言ってる私が分からないのだものと笑いが出てしまう。
訳の分からないことをわめいて、最後に自分で笑っている変なアジア人なんて、さぞかし相手も不気味だろうと思うけれど、何かに困っているのさえ伝われば、けっこう親身になってくれる人はいるもの。そして、あのお笑い芸人のテレビ番組のように、ちゃんと解決するのです。
火事場のバカ力は、このような場面でも能力を発揮できるのです。もちろん、相手にされないときもあります。でも考えてみてください。外国人が困って何かを訪ねて来た時に、ノーノーノーとか言って逃げちゃう日本人たくさんいるじゃないですか。どこが親切なおもてなしの国ニッポンなのかと思いますよね。
それに比べれば、外国の人は親切ですよ。第一、あなたの英語、間違っていますよなんて言う人いません。ま、英語かどうかも分からないと心で思っている人はいっぱいいるかもしれませんが、大丈夫、開き直れば、必ず通じます。PPAPが理解できる英語力があれば、問題な~いなのですよ!
あとは、ノートとペン。書く。スマホなら画像。見せる。そして後は、欲しいか行きたいか、そんな会話、旅ならではの楽しさです。
フィゲラスのダリ美術館は大賑わいだけど、カダケスのアトリエはひっそりとリゾートの海辺の町にある。ダリの晩年の愛の巣がそのまま美術館になっています。海が借景になった窓。今も生活感のあるアトリエ。ひまわり畑を縫うようにたどり着いたコスタブラバ。自由旅行ならではの贅沢です。ずっと憧れていた夢が叶った瞬間でした。
イタリアからピレネー山脈をバスで越えて、フランス、スペインに。たくさんの人に助けられて、移民と間違えられたり、食事を助けてもらったり、思い出いっぱい!
恋人たちにもぴったりな似合う素敵な港町でした。夏、バカンスを楽しむ人々がゆったりと暮らしていましたよ。英語?ほぼ通じませんでした(笑)
I am coffee は正しいです!
日本人の間で交わされる英語笑い話。タクシーを呼ぶときに「コール・ミー・タクシー」。それじゃ、「私をタクシーと呼んでください」になっちゃうよ。その通りですが、モノにはシチュエーションがあります。例えば、どこかのレストランやホテルの入り口で、明らかに言葉が上手ではない人が、そういったら、よっぽどの想像力のない人でない限り、タクシーが必要なんだろうと分かりませんか?
そんな時に、それは間違った英語ですよなんて、レクチャーする人なんていません。きっとタクシーを呼んでくれると思います。それは、言葉が通じたということです。
コーヒーを頼むのに、ア・カップ・オブ・カフェ・プリーズ。アイアムアコーヒーだと私はコーヒーになっちゃうよ。これもよく聞く英語間違い笑い話ですが・・・。普通にアイアムコーヒー使われています。カフェに行って、アイアムコーヒーといって、あなたはコーヒーではないですよなんて言う人なんていないです。道端で叫んでいるわけではなく、カフェでオーダーしているシチュエーションです。
考えてください。日本でカフェにいって、「私にどうぞ1杯のコーヒーを下さい。」なんてオーダーしている人を見たことがあるますか?「私、コーヒーね。」って言ってるではありませんか。それは I am coffee に他なりません。
行けば何とかなるもきっと正しい!?
リスクを恐れるためには、リスクを知ってる必要があります。それは事前の情報収集と想像力が必要です。言葉の問題にしても、行ってみないことにはどんなシチュエーションになるか分からないので、旅の英会話通りのシーンを繰り返しても、もっと新鮮な場面に出会えるはずです。
今は自動翻訳機もあるし、困ったときの指指し〇〇語のような書籍もあるし、お助けグッズがいっぱいあります。お守り代わりに持って行けば、きっと役立つことがあると思います。が、まずは、ぜひ、自分でコミュニケーションをとってみましょう。行けば何とかなるです。そうすることが、自信につながるし、あっ!そんな簡単なことでいいんだ!なんての目からウロコものの体験がどっさりです。体験して覚えた言葉は、本当によく身について忘れないものです。
習うより慣れろをきっと実感すると思います。そうして、伝えきれなかった悔しさがまた一つ、単語なり、文章なりを覚える、きっかけになっていきます。
画像はベトナムの古都フエ。毎日安宿の前にたむろっていたリキシャーのお兄ちゃん。出入りするたびに「安いよー」「どこ行くのー」と客引きするので、私がタダで乗せて漕いであげました。
アジアの客引きはとても人懐っこい。怖がらずに、値段交渉をしてみるのもコミュニケーションのいい練習です。納得の値段が定価です。納得できなかったら、きちんと断る。
ノーと強めにきっぱり言った後、一拍おいて、やさしくサンキュー。笑顔でね。有無を言わさず、ありがとうで締めくくる。上手に断るのは、なかなか難しい。これが出来れば旅の達人です。
旅で必要な最低限のひな型便利言葉を覚えていくのも大事かもしれませんね。
要素はたった五つくらいです。
ワークショップではこうした便利英語と、想定した簡単言葉のノートを作れます。ぜひトライしてみてください。人々はふれあいや感動を共有せずに幸せを感じないものです。
今度、海外旅行へ行くときは、自由に旅が出来るように。これからの旅は、個人がフレキシブルに事情に合わせて旅ができることが大事になってくると思いますよ。
with コロナ時代。個人で旅する力をつければ、海外旅行もきっと楽しめる!
自分の旅を作って見よう!
今こそ、価値ある旅を。一生に一度の旅だと思って、プランニングしてみよう。絵を描くようにだんだんに仕上がってくる自分だけの旅行図。
その夢、きっと現実にしましょう。