アベノマスクが届いた時、思い出したODAのお話し 3
時空を超える村
少数民族と言われる人々
ラオスの首都ビエンチャンから、日本のODAで建設中という未舗装の道路を七転八倒しながら移動してベトナムに抜けた。国境ドン・ハからフエに。そこから観光しながら北へ向かい、久しぶりのハノイ。
当然、ずっと変わらずにいる景色は少なく、お気に入りだった風景も探せなかった。それがまた旅というものでもある、よね?
ハノイから、さらに北上すると中国との国境ラオカイから中国の雲南省に入る。この辺りになると、少数民族の村が点在して、その独特の文化が旅人たちの心をくすぐる。少しミステリアスな香りも感じる少数民族という響きだが、生活背景はミステリアスの一言では片づけられない。
ハノイの町にある旅行代理店には、こうした少数民族の村へのツアーがたくさん売られている。ハノイを起点にショートトリップするのにはとても便利。ほんの数千円で1泊2日くらいのツアーは見つかるものだ。物見遊山でも行ってみる価値は十分にある。そこからくみ取る歴史や時代背景がすこしでも見えて来ると、今の自分たちの生活も別の角度から見えて来たりする。例えば月並みですけど、幸せの価値観とか。
けっこう笑えるのだが、日本でツアーというと、ちゃんと時間割の旅程があって、食べ物や、お土産など、魅力的な説明が添えられているパンフレットがあるよね。何も情報がないツアーは当然売れないだろう。
ハノイの旅行会社で売っているツアーは、それは簡単で、行く場所と時間と値段くらいなものだ。こういうところでも、至れり尽くせりのサービスを当然と思っちゃいけないなと感じる。私もサービス精神が染みついていた故に、自由が不自由と感じた数少ないツアーに出くわした。
牧歌に惹かれるのは世界共通なんだなぁ。。。
上の画像はどちらものどかな牧歌的な景色。左側はマイチャウ、右は岐阜の白川郷。どちらも観光客には人気のスポット。まんが日本昔話のような世界は万国共通で愛される。自然と共存して生きる人々に憧れるのは私自身もそうなのだが、ここにずっと暮らすとなるとどうなのだろうね。
文明が地球を痛めつけてしまっているならば、異常気象、自然災害などに深刻な影響を真っ先に受けるのはこういう素朴な土地のようにも思う。しかし、新型コロナウィルスに世界中に蔓延しても、生きていくために経済を捨てられないのもまだ事実。ノスタルジーに浸って一瞬の桃源郷を味わいながら、却って不安になる悲しい性もある。同じ時代にまったく別の時代のような時空に行くことは、タイムカプセルがなくても出来る。くらっと眩暈を起こすような時空の狂いは、風が起こす木々の葉音や、遠くに聞こえる動物たちの声。ジオラマの中で動いている人形のような人々。そして次第に現実だか夢だかわからなくなるような感覚。白日夢の中で自分自身が透明になっていく気分。何の予定もなく見知らぬ土地にいるからこその感覚かもしれない。
そして、治水や災害などから生活を守るために、このベトナム奥地の村にもODAの力は及んでいた。
現地ツアーで自然に文化交流
ワゴン車に詰められた6人の参加者は、3時間くらいかけて首都ハノイからラオスの国教に近いマイチャウにやって来た。オーストラリアからの若い女の子。ベトナムに里帰り中のベトナム系アメリカ人のご夫婦とご親戚のベトナム人。そして、彼氏に会いに来ていたベトナム人と日本人のカップル。
村に着くと、そこの農家の民泊みたいな2階建ての家屋の2階部分がツアー客用の施設(?)。って言ったって、仕切りもなにもない広間、薄い床板は一枚で階下が透けて見える。そこに畳まれた布団が数組あるのみ。ガイドらしき人は、夜になると民族舞踊が披露されます、のみ。で? 他に情報はない。そのガイドはというと、村人たちと楽しそうに語らってお茶をのんでだべっている。これは何なのでしょう?自由すぎ。時間もなにも教えてくれない。時計は無用のものになった。
不安なほどほっとかれているので、どうしたものかと思ったら、ベトナム人のご家族は横になってくつろぎ始めた。あら、ツアーってこんなもの?日本人としては疑問符だらけだ。
確かに村を訪ねるツアーではあったのだが。。。まあ、なんであっても現地ツアーはいろいろな国の人が参加するので、出会いという点では楽しい。日本人はどうしても現地ツアーでも日本語を希望する傾向があるが、たまには英語ツアーをお勧めしたい。メリット、デメリットはどちらにもあるけれど、旅という大きな括りで考えると、一度にたくさんの国の人たちと知り合えるだけでも魅力がありますよ。
私は1億2千万分の1のアンバサダー
今回のタイトルが一般国民が外交官になる瞬間なのですが、一般国民というのはPart1でも書いたように、上級国民という言葉が揶揄的に使われたことから引っ張ってきています。外交官はアンバサダーを使うほうが意味的には正しいのですけど、アンバサダーは外交官より大使というほうがより近いかもしれません。観光大使とか、親善大使とか、かなり気軽に使えてしまう単語ですよね。
つまり、我々の誰もが、普通に気ままに旅するだけで、思い込みをしていたことが塗り替えられるくらいの影響力を持てるってことなのです。素朴で忖度などないもの同士の方が、ずっとホントとホンネに近いのは当たり前ですし、モノの見方が違う異国の人同士であれば、自分たちの国をより客観的に見ることも出来ます。大げさな言い方になりますが、世界のどこかで数分間だけ関わっただけでも、日本を大きく変えるきっかけになるかもということです。ガイドブックを頼りにする旅ではあっても、国によって書かれていることが違うことがあって、趣向の差も楽しいものです。
ちょっと気を付けなければいけないのは、「私たち」とか、「日本人」はという意識です。例えば、旅先でいままで見知ったことのないA国の人と出会うとします。その人が話したことを、日本に帰ってきて、A国ではね、といえば、たった一人のことが、A国全部になる。これはこれで誤解を生みますよね。話は少々飛躍してしまいますが、言葉は文化で、例えば、英語を日本語に直訳しても通じないのは生活の基盤背景が違うからです。
日本語はよく主語がないと言われますが、そこには「私たち」とか「みんな」という複数の団体意識が隠れています。それが悪いとか良いではなく、個人主義を尊重する文化を持っている人々からすると、理解が難しいということです。なので、何かの話題を話すときには、we なのか I なのかを意識することは大事なことかもしれません。
私も We の概念が染みついているのですけど、同じ日本でも沖縄と北海道は全く違うし、都会と地方でも全く人の意識は違いますよね。そういうことを考えて話すようになりました。異文化の人々との出会いは、国際感覚を磨くのにとても刺激になります。失敗を繰り返しながら自分で気づいていくのは、身に沁みて学べますからね。旅は、一か所でも何か国の人達と話すきっかけを作ってくれるので、お得気分ですよね。
言葉なんて通じなくても、気持ちがあれば分かり合えるというのも本当ですが、それはシーンによって全く逆のこともあり、です。全く違う捉え方をされると、ああ、語学、習わなければといういい励み。それでも、そうだったんだと1つでも誤解が解ければ、ものすごく世界貢献したような気分にもなれます。そう、インドネシアのエビは本当にアホな日本人がしたことなのか、旅の宿題もたくさん増えますけれど、それはみんな自分の栄養になります。この感覚、ちょっと恋愛の初めに似ています。
番犬はペットではない・・・・
手植えの風景。日本では殆どみることのない景色です。感動的だったのは、村の女性たちがおしゃれなこと。普段と変わらない服装で働いているのです。この女性は、白の洋服を着て田植えをしています。
このねっとりした田んぼの中で働く人たちはみな洋服を汚さずに作業しているのです。すごくないですか?
この何をすればよいのか不明なツアーは、却って落ち着かない。やっとガイドが散歩に連れ出してくれることになりました。オージー(オーストラリア)の女の子と、集落を抜け、田んぼのあぜ道をのたのた歩く。びっくりしたのですが、畑を耕す水牛は、(日本でも昔は役牛と呼ばれる牛が活躍していたのは知っていたが)畑仕事が終わると、ちゃんと飼い主の言うことを理解して歩いて帰るのです。農家のお家には、豚やニワトリやテンジクネズミ(おおきなモルモット)が飼われていて、番犬もワンワンそりゃ恐ろしいくらい吠えまくります。ブタやニワトリはとにかく、ふかふかのモルモットちゃんや、役立つ水牛や犬はペットだろうみたいな感覚でいたもので、お名前は?なんて聞いたのですが、ガイドも村人も変な顔して見るのですね。
名前を付ける概念がない。もっと言えば、食料に名前なんて付けないということらしい。んんん、水牛とか犬も???無駄はないと言うこと。そもそも今の世の中からすれば、農耕に動物を使うだけで動物虐待と言う人もいそうだよね。まあ私は、文化や生活背景を知らずに自分の価値観を押し付ける人をあまり好まないので、これはこれでショックではありましたが、そうか・・・と納得しました。その地で生きると云うことは、今はそういうことなのかもしれない。もちろん、10年後はわかりません。物質的には貧しい場所であるとは思うが、人々は明るくとても幸せそうに見える。便利が不便の生活に疲れた人々が、こののどかさを求めてやってくるのも事実。
田んぼにはまってさあ大変!
バナナの木は別として、私は子供の頃、こういう景色を身近で見たことがあったが、オージーの女の子にとっては初めての経験だったらしい。はしゃぎまくっているうちに、田んぼのあぜ道で転んだ。つんのめって田んぼに尻もちをついた。どうしても起き上がれない。私とガイドは思わず笑ってしまったのだが、ずぶずぶと底なし沼のようにもがくほど沈んでいく。ガイドが手を差し伸べて、よいしょっ!と引き上げると彼女はべそをかいていた。
そしてとても怒っていた。私たちが笑ったからだ。笑いは文化と大きく関係する。笑い方ではなく、笑いそのもの。あ、失敗!いつかドイツ人の夫と散歩中に溝に落ちた夫を笑ったら、離婚だ!と夫婦喧嘩になったという話を友人から聞いたことがあった。
そこ、笑うところではないでしょ!って。これも異文化なんだろうけどね。笑いはけっこう難しい。洗えば落ちるよとゲストハウスまで連れ帰って、ズボンとスニーカーを洗濯して、私は自分のサンダルを貸してあげたが、彼女の気持ちは戻らなかった。やれやれ。
彼女はそこにいたベトナム人の旅行者たちに慰められて、ちょっと恥ずかしくなったのか笑顔を見せたが、ふて寝。
気が付けば、ガイドはどこかに行ってしまった。仕方がない。集落を抜けると、多少開けた幹線道路沿いに少しお土産屋さんのようなものもあったし、探検にでかけよう!そろそろ夕方、人々も帰路につき始めるようだ。突き刺さる西日を浴びて、暗くなるまでに戻ればいいだろうとまた歩き出した。
ここで初めて、ODAに対してありがとうと言われた。
でもやっぱりよくわからない政府援助。
アベノマスクに端を発して、たまたまよみがえったODAの体験談だったが、こうして綴ってみてもあまりよく理解できていない。国というもの分かっているようであまり気にしていなかったなとつくづく感じた。もし次に旅する時には、国との関わり合いもチェックすることにしよう。
ちなみにお散歩中に、通りすがりの村人たちは日本人と分かるとありがとうと言ってくれた。村中が工事をしていして、どうも日本のODAらしいのだ。らしいというのは、村人がこの工事中の橋に連れて行ってくれたから。そこには日本とベトナムの国旗が描かれていた。
いつか、自由に空を飛ぶ日を夢見て