1時間後にアフリカ大陸で Part 3 カスバの女・・・

カスバ・・・昭和懐メロ?? 何それ。

 そもそもが、1時間でアフリカ大陸に行ける!から始まったアフリカデビュー、対岸がアフリカのモロッコというだけの始まり。タンジェの町の名もこのとき初めて知った。初めて尽くし。タンジェって?と検索すると、メディナ、カスバ という単語ばかりが出てくる。カスバと聞けば、「カスバの女」の文字が頭に浮かぶ。昭和懐メロ。聞いたこともなく、カスバにはなんとも妖しげで退廃的なイメージだけが浮かび上がる。カスバ=場末ってなーんとなく勝手に作ったイメージだったかも。で、今更ながら、カスバって何?

歓楽街ではなかったんだね、カスバ

 青い村、シャウエンで1泊した私たちは、時間通りにリヤドで細枝おじさんと再会、同じようにタンジェの村に戻りました。あ、フルーツの種類だけが変わって、プラムのような果実をたくさん買っていました。私にも1つ分けてくれました。とっても美味しかったのですけれど、名前が聞き取れませんでした。あっという間のアフリカ。昨日のことが、遠い昔のようです。

 フェリーまでの時間、タンジェの見どころカスバとメディナへ遊びに行こう!

ご多分に漏れず坂、坂、またまた坂を上ると・・・

 アフリカへは、ポルトガルを経て、スペインのタリファの港から1時間で船で渡って来た。滞在したどこも身体が斜めになりそうなほどの坂道の町ばかりだった。関東平野(?)に住んでいる怠け者の自分を呪った。東京、例えば赤坂、渋谷、名前の通り坂道は多い。渋谷にしても、駅からすぐに道玄坂や宮益坂とかがあるが、別にハイヒールだってさして気にせず歩ける。

 ところが、今回の滞在地は、そういう次元ではない。しょっちゅう地図が書き換えられる大陸は、敵から守るという概念が最優先だったと信ずるほかはない。ここも例外にもれず、細い迷路が上へ上へとくねくね続いている。姫路城より疲れる!

それは、要塞です!

カスバ

 カスバって要塞でした。なんだ?そーいうこと。イメージ先行があるので、てっぺんに登って、そうですか・・・・。どうも、歌の題名でしか馴染みのない言葉だったので、キョトンとする感じ。。。。。んじゃ、「カスバの女」って要塞のオンナって意味?別の意味で怪しい。妖しいか??

 カスバまで行くのに通る迷路周辺は「メディナ」と呼ばれている。メディナはアラビア語で「町」、なんだけど、サウジアラビアには「メディナ」という、メッカに次ぐ第2の聖地があるしな。「旧市街」としての代名詞で使われたり、カスバと並んで実態がつかみづらい。

 タンジェのメディナは、はっきりと区別された旧市街を指すらしい。地図などなくても、道行く人に、「メディナ」と言うだけで、あっちだよと指さしてくれる。どの方向からでも、城壁に囲まれた旧市街の入り口に辿り着く。

 この新旧の町づくりは日本人にはあまり馴染みがないので、行けば分かるという乱暴な言葉になってしまいがちなのですけどね、要は一つの町の発展の歴史みたいな感じ。アジアでもヨーロッパでも、城壁があり、そこから入り組んだ細い迷路が続き、大抵は、高い位置でのお城や要塞があって、敵からの攻防に備えている。クレーンもない時代にどうやってこんなものを作れたの?ってそりゃ不思議で仕方がない、まさに権力の証だよって思うけれど、敵から身を守るために必要であったってことかもね。

 その為に、近代のインフラ整備を伴った新しい町づくりは、狭い城壁の中では難しく、壁の外側に作るようになったと、ざっくりだけど、そんな感じで掴んでおくといいのかな。

 日本の城下町も同じように、それぞれの土地景観を工夫を凝らして町づくりをしている。大きな違いは、日本の家屋は木と紙で出来ていたこと、水が豊富で川が多かったこと。地震の多い国であったこと等々。新しい町作りは、いいか悪いかは別として、原形を変えやすかったでしょうね。

メディナの中はマルチリンガル う、うらまやしい!

 言葉ができないからという理由で個人旅行を諦める人は、本当に勿体ないけれどかなりの数がいます。日本に住んでいれば、外国語など出来なくても困ることはない。そんな日本に外国人観光客がいきなり増えたここ数年、真っ先に言葉を操るのは、お土産屋の店員さん。いつの間にか、浅草の仲見世も、築地場外市場もトリリンガルは当たり前になった。それより早かったのは、箱根の大涌谷。随分前からほぼ日本語は聞こえてこないくらいだった。習うより慣れろ!とはよく言ったものだ。これは日本に限ったことではなくて、世界の観光地、特に定価の概念がない国では、それはそれは語学に長けている(?)売り子さんは多い。

 根本的にここメディナも例外ではなかった。古い話になるが、ドルさえあれば世界中で両替の必用はなく、そのままダイレクトに使えるということがあった。世界中は大げさだけど、特に発展途上国などは逆にドルを欲しがった。

 ここモロッコの貨幣はディルハム。国際通貨ではなく、基本持ち出しも禁じられている。再両替もかなりレートが悪い。となると、短期滞在者などはドルやユーロを使いたいだろう。今どきと思いつつ、一応現地で聞いてみる。と、案の定、断られる。が、メディナは例外。お金ならなんでもOKの勢い。港町だし、ツアー客も訪れる商魂たくましいメディナの商人たちは、どんな国の挨拶も出来そうだ。明るく世界中からの人々とコミュニケーションできる環境は羨ましい限り。数字に弱い私は、貨幣のレートを即座に使い分けるいい加減さ(?)もまた う ら や ま し い。

 言語に言及すると、どこかのCMにあるように、聞くだけですらすら話せるようになるってのは、個人的には信じがたい。やはり話すチャンス、声をだす環境が大事だ。そして、意外に日本人の前で英語を話すのって恥ずかしいのだよ。旅の恥はかき捨て。ここでなら、ブロークンだろうが間違っていようが、楽しくおしゃべりできる。陽気な市場の人々は、なかなか面白い。イスタンブールのグランバザールの愉快なアリババたちを思い出した。

ラッキーネーム、アリババは買うもの。開けゴマ!

 話がどんどん飛んで申し訳ないが、イスタンブールの商人たちはなぜだか、アリババという名が多く、店の名もアリババだったりする。商売に向いている名前なのか不明だが、なんでアリババばかりなの?と当人たちに聞いたところでは、名前を買っているのだそう。誰から買っているかは不明だが、商標権みたいなのが、あるのかどうだか。多分、とても商売には向いているラッキーネームなのだろう。何といってもアリババは「開けゴマ」で巨万の富を得ていて、貧しい人々を助けたことになっているからな。

 ジェネレーションギャップを埋めるために書いておくが、アリババとは中国のIT企業ではありませんよ!「千夜一夜物語」の中の「アリババと40人の盗賊」のアリババです。とっても昔、昔からのお話しが大元です。なので、トルコのアリババの方が古いのです。

 ここメディナでも、店主たちの名前はアリババか!はたまた石を投げれば当たるモハメッドか。商売人は、売ってなんぼ。フェリーの時間があるので、さほどのんびりともしていられないのが残念。こういう市場では、冷やかし客を嫌がったりしない。値段の駆け引きもお買い物の楽しさに含まれている。もうあと1本フェリーを遅らせれば、ゆっくり町歩きできそうだが、実質1時間のフェリーも国境を超えるので、プラス1時間の時差がある。いくら日が長い夏といっても、見知らぬ土地では何かあるかもしれないことを考慮して出来るだけ遅い到着を避けている。今回はフェリー時間優先でいこう。お店もじっくりは見ていられない。さらっと冷やかしながらの駆け足だ。

 多分ね、パッケージとかで旅行して、市場のような場所で自由時間があるとすれば、(あまりないと思うけど)ぼったくられるから要注意と言われると思う。そのくせね、最近は少なくなったけど、強制的にお土産物屋さんには連れて行ったりするからね。不思議なロジックだわよね。

メディナの中の商店 化粧品店も多いが、女性の店員さんは皆無。

あなた、いくらで買いますか?ぼったくりってそりゃないよ。。。。

 ぼったくられるという概念をどうとらえるか。定価の概念がない国では、自分が納得した価格が定価と考えたほうが良い。言い値だろうが、交渉して得た金額でも、納得してOKしたら、買い手にはその価値があったということ。騙されたかどうかは考え方によると思う。

 自由旅行のノウハウ本や旅日記、ブログ、どれも実体験だからなかなか面白い。読んでいてなるほどで勉強になるが、カオス的な市場の記述については、騙されちゃならねーぞ。的な表現が多い。

 昨今の新型コロナウィルスのマスク騒動でも、テンバイヤーなる言葉までも飛び出して、法律までできてしまったが、適正価格ってなんだろうと思いませんか?

 モノには定価とか、希望小売価格とかの線引きがあることに慣れてしまっている私たちは、海外の市場での買い物は確かに不安だし、やっかいな面がありますよね。でもね、どれだけ値切るかに心血を注ぎすぎて、変な陶酔感中毒になっている人や、言い値で買って、後から誰かにやられたねとか言われて、物売り人間不信に陥ってしまう人に出会うと、私もこの道を通り抜けて来たからこそ、気持ちはすごく分かるけど、せっかくの旅行なのにと苦笑いが出てしまいます。

 基本はいらないものは買わないがいいのだけれど、日本人はお土産買いが好きですし、旅行に行くと、最初のうちは何故だかくだらないものも欲しくなったりもします。それは決して悪くないことだし、いろいろなものに興味を持つことはとっても良いことだと思います。(ただし、自由旅行は増えた荷物はずーっと自分で持ち歩かなければなりませんよ。)

 ひま~な1日、物売りとウダウダ~と冷やかしで、お茶飲む感覚でお買い物なら良いけれど、長い時間をかけて、値切って値切って半値になったと喜んだとしても、日本円に直したらほんの数十円ってこと、どうなのだろうと思う。売り手は生活がかかっている。どう考えても儲けの出ない金額では売らない。ほんの数十円のために数時間かけても、そこに価値のある人にはそれでいいが・・・。そういうことです。

 言い値で買って、あとでぼったくりにあったと泣く人。あとで分からなければ泣かないよね。100円と言われて、それならと思って買ったのなら、買った人には100円の価値があったってことです。100円を値切って80円で買った人、あとで、別の人に、私は50円で買ったよと言われて悔しいわよね。でも、80円で買った時に、得した!納得!だったってことです。80円の人には80円の価値があったということ。50円で買った人には50円の価値だったのです。公共料金以外の値段は、自分が決めた価値がいくらだったかです。個人旅行の自己責任の一つです。

 もうひとつ、日本を離れたら、お客様は神様でもなんでもないし、タダのサービスはない。これだけは肝に銘じる。もちろん、日本人より、あたたかく、親切な人は世界中にたくさんいます。困ったときに助けてくれる人は多分、日本より多いと思います。

 でも、ビジネスとそれとはまったく別物です。親切とおせっかいがまったくの別物のように。

 あとから説明の受けていない料金を上乗せさせられたり、こわーい輩が出てきて脅したりされたなら、そりゃ、ぼったくりです。お互いに交渉して、それで双方が良しとなったら、それが双方の適正価格です。ちなみにマジ本物偽物が存在する物品、宝飾品とか、美術品とか。それは賭けです。とある古物商の人が言っていたのですが、その世界では、騙された人の負けなのだそうです。目利きの世界の厳しさです。ブランド品とかはもう説明外です。

 付け加えておくと、交渉の上、金額を決めたのに、やっぱや~めたっていう日本人客も実は多いらしいですよ。OK出したら、ちゃんと買うというのもビジネスマナーだと思います。ホンモノ、ホンモノと売ってくるブランド品を、いいの、いいの、どうせ分からないから安いニセモノ買いに来た。と買い叩く日本人もけっこういるとか。購入したら違法なのですけどね。よその国のこと、いろいろ言う前に自分はどうなのよ、ってことも大事と思う。旅の恥はかき捨ての意味、間違わないようにしないとね。

1ドル以下はニセモノ、これホンモノ、10ドルを1ドルにしてあげる、って?

 話しがそれまくりました。モロッコのメディナ。売れ筋はアルガンオイルだった。ここ数年のチャイナパワーはすごくて、リーマンショック前は、必ずコンニチワー!からはじまっていたのに、今では「ニイハオ」がモンゴロイドに対する挨拶だ。こんなところでも、世界の経済構図が見て取れる。

 少なくとも市場の人々は、多分5か国語以上で商売をしている。アルガン、アルガンというから何語の挨拶かと思ったら、アルガンオイルでした。あまり美容には興味がないのですが、気が付けばどこの店もアルガンオイルを置いている。雑貨屋、靴や、ランプ屋。店頭にはアルガンオイル。ああ、モロッコの特産品。。。

 出た出た、「1ドル、1ドル、安い、安いね~!」おお!久しぶりに聞くこの日本語フレーズ。懐かしさが耳たぶをくすぐる。ある店のオヤジが、「いいかい、レディー、ここらで売っている1ドルのアルガンオイルはどれもみんなニセモノだ。だから他では買ってはいけないよ。ホンモノは高いんだ。」すかさず、ちっちゃいスプレー付きのボトルを手に、シュッと私の手に吹きかけて、「どうだ、滑らかでベタつかない。肌には最高だ!」ふむ。「これは10ドルする、だから本物だ。君には1ドルで売ってあげよう。」あは!

 ね、素敵でしょ、これだから市場巡りはやめられない。

雑踏を抜けるとカスバ 女はいなくて、猫だらけ

     コンクリの要塞の上には大砲が町を見下ろす
     コンクリの要塞の上には大砲が町を見下ろす

 

  くねくね路地の迷路を登りきると、アラビアンチックなアーチ形が美しい天井のトンネルを抜ける。

と、突然目がくらむような日差し。一瞬何も見えなくなる。くらっとした後に飛び込んでくるのは、真っ青な海を一望できる遊歩道のような通路。

そこからまた別の階段を下がると、大砲を備えた城壁のような建造物が異様な威圧感で下を見下ろしている。不思議なのは、この大砲、海の方を向いておらず、新市街の方を向いている。

敵はどこから来ることを想定しているのか・・・・。残念、これを聞く人はいなかった。もしかしたら、今は祝砲か何かのためにある?

あ、でも一昨日、新市街の港を見下ろす展望台のようなところには、海の方を向いた大砲がおいてありましたな。

 

アラビックに鳴く猫をどうぞ。

道に寝そべる子猫
お腹がすいた・・・痩せっぽちな仔猫
ボス猫

どこも猫だらけ。遊び飛び跳ねる猫たち
昼下がりの猫たち

アフリカ大陸からイベリア半島を眺める。あれはアンダルシアの灯り。

懐いていないが、逃げない猫たち。私たちが縄張りを荒らしていると言わんばかり。

モロッコ タンジェのメディナにいる猫 ガンつけられている

この地球に生きている自分を抱きしめられる場所。

魔法使いのようなモロッコの民族衣装

 

 縦横無尽に猫が飛び回るカスバで、海を眺める人たちは、男女ともにモロッコの民族衣装をジェラバを着ていた。

 特に男性のジェラバは、フード付きで謎の魔術師のよう。

 比較的華奢な男性が多いので、すれ違うたびに呪いをかけられそうな気がする。普段の行いが悪いと、そういう妄想に襲われるのかしらね?

 ハリーポッターの映画のような、なんとも異次元の不思議空間っていいじゃんね。アラビアンナイトの世界に迷い込めますよ。

 猫さえもみんな、魔法使いのように感じられます。風に巻かれて、人も静かにドラマのシーンのように動く。半日くらいここでボーっと想像を膨らませながら過ごしたい。ふと周りをみると、景色を望めるカフェもありそうだ。

 対岸はイベリア半島、アンダルシアが見える。アフリカ大陸から、ヨーロッパを眺める。青い空、蒼い海。ゆっくりとした時間。あ~地球に生きているって実感!

 

 

 メディナの中は迷路のようになっている。とはいえ、居住地、商店、レストランなど、それぞれのエリアによってしっかりと分かれているようで、路地ひとつ変われば、ページの裏表のようにその表情をガラッと変える。歩く人々の服装も新市街とメディナでは違う。

 ここ、メディナでは、アバヤと呼ばれる全身黒づくめの女性が目立つ。つい一昨日のラマダン明けの新市街では、鮮やかなプリントのドレスに、ヒジャブと呼ばれるスカーフ姿の女性が多かったが、あれはお祝いの日だったからか?

 男性もジェラバと呼ばれるフード付きの衣装を着ている。目深にかぶったフードで顔が良く分からず、なかなかミステリアス。

 住宅地は、決して古さは感じず、白壁を丁寧に塗りなおして、常に美観を大事にしているように思える。けっこう豊かな生活をしている人が多いのか、レストランかと見まがうほど美しいエントランスにセンスの良さを感じる。特に屋根やひさしもないところに、調度品のような椅子が置かれていたりするので、びっくり。雨が降ることはないのか?と疑問に思ってしまう。

 

 様々な表情を持っているメディナ、迷宮の世界にずっと浸っていたいところです。 

 

雑沓の商店が続く路地の反対側にある坂道は、高級住宅街の雰囲気。

しゃれたレストランも多い。

アラビックのモザイクランプが美しいレストラン通り

いきなりオープンエリアに絵画が!ここは何?看板が読めない!

人の家の玄関か、ギャラリーか?人気はまったくない町の一角。

美しい絵画で飾られた町中の家。オープンギャラリーか?

真夏の夜の夢のように モロッコ また来るね!

メディナ内にある高級ホテルのテラスカフェ

 モロッコには、言い知れないノスタルジアが漂う。それは多分、映画「カサブランカ」だろうか。今も語り継がれるハンフリーボガードの名言はいぶし銀に染まる。実は、リバイバルを思春期頃に見た記憶があるが、ストーリーは全く理解できなかった。ただ、ドラマの中のエキゾチックで混沌とした雰囲気や景色だけが記憶の片隅に残った。

 遠いアフリカの国、サハラ砂漠。イメージが植え付けられると、そこは一世一代の決意をしないと行けない国と思い込んでいた。

 ふらっとスペインの旅の途中に立ち寄れるとは。ここモロッコも、多くの民族の流入と植民地支配の過去をもっているが、それを上手に受け入れて生活をしている自由な国のように思えた。

 短い間に出会えた人たち、だれもが陽気で親切で、楽しい人々だった。次は、サハラ砂漠のキャラバンにおいでと言われ、そう、いつかきっと。

 「そんな昔のことは覚えていない。」

 「そんな先のことは分からない。」

 「君の瞳に乾杯!」 名台詞が風に乗って海に流れた。

 

 

次回もお楽しみに

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